「若いと発想が柔軟」は真実か?
2018-05-31


柔軟な発想」とは何だろうか。それは暗黙的に共有されるフレームから飛び出して、別なフレームで考えることではなかろうか。むかし、音楽をいい音で聴くには「立派な部屋と重厚な再生装置が必要」というフレームに対して、「ポケットに入る大きさの再生装置に性能のいいイヤホン」というフレームでウォークマンが開発されたのは好例だろう。

この柔軟な発想を持とうとするならば、暗黙的なフレームを曖昧にせず意識することが不可欠だろう。そして、それ以外のフレームでは目的を達成できないのかなどと考えることが必要だ。(先の食事の例なら、裕福な知人にご馳走してもらう、というのは別なフレームでの発想だ。) 言葉を換えて言えば、前提を見直すということであり、組織的にこれをおこなうのがダブルループ学習である。

結論:無知なるがゆえのムチャクチャな発想は、さほどの意味をもたない。さりとて既存フレームにとらわれていては新しい発想は生まれない。フレームを意識しつつ、そのフレームから脱却して考えられる人にのみ(意味のある)柔軟な発想が生まれるのだろう。

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